産地の物語STORY

京都北山丸太の産地の物語をご覧ください

山稼ぎの村山稼ぎの村

急峻な山々が連なる京都北山のわずかな平地にある集落では、山林資源を収穫する「山稼ぎ」が生業になりました。水が豊かで冷涼な北山の里は、とくに杉の木を育てるのに適しています。
ただ、北山は大きな木を流せる広い川がなく、材木を運搬するのは困難でした。いっぽう都まで山道を歩くと半日ほどで往復できる立地にあり、人力でも運べる小さな木にいかに付加価値をつけるかの努力が、北山丸太の特徴につながりました。

北山丸太 木造倉庫群北山丸太 木造倉庫群

北山杉のある里山の風景に溶け込むこの木造建築は、磨き丸太の加工そして乾燥保管をするために昭和初期に建設されたものです。
川端康成「古都」の映画の舞台にもなり*、まさに文化的な景観を象徴する佇まいがあります。*1963年 岩下志麻、1980年 山口百恵、2016年 松雪泰子が歴代の主演をつとめる

中川八幡宮の白杉母樹中川八幡宮の白杉母樹

500年以上経ても樹形が崩れず真っ直ぐ伸びる遺伝子は、母なる1本の白杉から始まりました。この母樹が北山林業の祖となり、その子孫たちが京都北山の風景をつくっています。

台杉仕立て台杉仕立て

北山の急斜面での植林・育林は困難を極め、また苗木はとても貴重なものでした。そこで考えられた育林方法が、一つの株から数十本以上もの幹を育てる北山独自の「台杉仕立て」です。植林回数を減らし、収穫サイクルを早め、緻密な木材を作る。北山林業の技術の結晶です。

北山大台杉北山大台杉

樹齢400年以上と推定されるこの大台杉は北山地域で最古かつ最大、まさに縄文式土器のような孤高の風貌があります。
数百年のあいだ、植林せず繰り返し芽吹いた枝から数多の垂木を循環生産し、京都のみならず日本の多くの数寄屋建築、歴史的木造建築を支えてきました。

先人から繋がれてきた山先人から繋がれてきた山

長さ30cmほどの穂木からつくった苗を植林してから約30年、手間ひまをかけ、丹精込めて育てられた北山杉は、真円で下から上まで太さが変わらず真っ直ぐに育ちます。先人のたゆまぬ努力と叡智によって、何百年と絶えず繋がれてきた杉山の木々たちは、無口でありながらも、まるで先人たちの魂がそこに宿っているかのようにも思えてきます。

枝打ち枝打ち

枝打ちは良質な北山丸太をつくるために、多くの工程の中でも特に要となる作業です。植林してから6~7年後に最初の枝打ちを行い、その後は4年毎に繰り返します。はしごを杉の幹に架けて枝まで登り、鋭利に砥いだ鎌や鉈で枝の付け根を幹に沿って打ち落とします。やがて年輪がそれを覆い、フシやエクボのない美しい木肌の北山丸太となります。

砂磨き砂磨き

伐採後は丸太の樹皮を剥き、丁寧に乾燥させたのちに、丸太の表面の光沢をさらに引き出すために、僧侶の教えから始まったという言い伝えがある「菩提の滝」で採取した砂を使って手で磨きます。細い杉丸太でも、遺伝子を選び抜き、育て方を工夫し、表面を磨くことで付加価値を付ける。厳しい環境と立地に生きる、北山の先人たちの知恵です。

北山丸太の完成北山丸太の完成

室町時代から北山杉は茶の湯文化にとって欠かせない存在であり、桂離宮や修学院離宮にも使用されています。後に民衆にも広まり、和室といえば床柱に北山杉が使われていました。明治期になると、突然変異で表面にコブ状の凹凸(絞り)がある「天然出絞」の品種が発見され、その後も世界的に特殊な加工や使用方法が常に考え出されてきました。

磨き丸太の艶磨き丸太の艶

非常に緻密で、独特のなめらかな艶と光沢のある磨き丸太は、人工的な塗装では決して表出しない唯一無二の質感です。時間とともに、人のくらしとともに、その木肌は深みや味わいを増していきます。

材木市場材木市場

丹精込めて作られた丸太が並べられた材木市場は、真剣な眼差しの男衆の威勢良い掛け声と熱気に溢れています。現在でも昔さながら目利きと競りを経て、本物の北山丸太が皆さまにお届けされています。

京都の誇り京都の誇り

北山杉は昭和41年に「京都府の木」、平成10年に「京都府伝統工芸品」に指定され、京都にとって欠かせないものとなっています。
京都北山杉は、時代の要請に応えるべく新たな挑戦をし、進化し続けてきました。京都北山杉は「変わり続ける伝統」なのです。